昭和四十六年三月五日
御理解第七十五節
「人を殺すと言うが心で殺すのが重い罪じゃ。それが神の気感に叶わぬ。目に見えて殺すのは、お上があって夫々のお仕置にあうが、心で殺すのは神が観て居るぞ。」
心で傷つけたり殺したり、相手の運命を狂わせて仕舞うような傷つけ方やら殺し方をする人がありますね。
形の上で云うなら、刃物なら刃物をもって傷つけたり殺したりするのは、お上があってそれぞれお仕置をする訳ですから、それで罪が消える様な感じ。誰も知らない。型の上での行為は全然適当しない。それでも神が観て居るからそれが神の気感に叶わぬ。
そこで私共が本気で日々神様の御気感に叶う一日である様にと、そこでお道の信心させて頂く者は、この事が切実に願われなければ嘘だと思いますね。
今日も貴方の御心に叶います一日で有ります様にとそういう心でおる限り、人を殺したり傷つけたりすることはないと思いますね。 今日も貴方の御心に叶います一日でありますようにと、そういう心で居る限り、人を殺めた傷つけたりする事はないと思いますね。 金光様の信心はその事を祈り思い続ける事だと思いますね。
そこで、貴方の心、貴方の心を分からせて頂くと云うことにならなくてはならんのです。
貴方の心に添い奉る一日であります様にと、目が覚めたらその事の願いがなされなければいけません。
今日も神様の喜ばれる一日でありたいと願いをね、持たなくてはいかん。そこから精進が出来る。又心の状態に於いても今日の御理解の処を頂くと傷つけ、殺める事の無い一日が送られる。
そこで私はここんところを、そういう例えば、今日もどうぞ神の御心に叶う一日であります様にと精進させて頂いておる。だから、殺めることも傷付けることも無いおかげを頂かれるが、そこで今日は傷付けられないで済む、殺されないで済む私でありたいと、そこに焦点を置いて聞いて頂きたいと思う。
相手がどんなに突き刺す様なことを云うても、そういう態度を取りましてもこちらが傷付けられない、こちらが殺されないで済むおかげ。あの人からあの様な態度を取られた。あの人からあんなことを言われて、もうぷーっとして仕舞う。それで腹が立つ、腹が立ってたまらん。煮えくり返る様である。そういうことでない私でありたい。そういう事は自分が助かるだけでなくて、その相手も助かること。相手は罪を犯すような事をした訳ですね。傷付けたり不必要なことを云うならば、けれどもこちらが殺されんで済む、こちらが傷付けられんで済む。だから相手があわや罪人に成らにゃならんところを相手を罪人にせんで済むと云うことになるでしょう。
実際の事にするなら、刀を振りかぶって相手を殺そうとした。ところが、切り付けられた方が強かった。そしてそれを取って抑えて、お前は何と云うことをするかと云うことになればですね、相手を罪人にせんで済むでしょうが。
問題はこちらが力を頂かなければならんと云うこと。こちらに力が無いから相手に傷付けられたり殺されたりする。そこで自分が助かるだけでなくて相手も罪人にならんで済むおかげを頂かんならん。
昨日、お道の新聞が参りました中に、今、師あり道ありというこれは素晴らしい思い付きだと思うのですけど、今回のおかげを頂かれたお年寄りの先生、先日からの唐津の偉い先生、昨日参りました新聞は福岡県の飯塚教会、倉野義八と云う大変有名な偉い先生です。これは見えますね。大久保先生、古賀先生が修行したところです。そこが又親教会に当たる教会。その倉野先生が、もう今年は九十歳になられる。これはまあ大変な大きな商売人の家に生まれられたけど、御両親早く亡くなられてそれから叔父さんの家に引き取られた。その叔父さんも亡くなられて、それから先生の苦労が始まった。そしてあれをしこれをして、博多で時計屋を初めておられます。
けれども人に騙されて失敗した。その時に弟子に来た人が甘木の金光様の御比礼を聞いて知っておって話をした。そして一ぺん参ってみようと云うて初代に初めて合うた時のことが書いてある。
その当時お参りさせて頂いた四、五十人の人が熱心に話を聞いておる。馴れない間は何が何やら分からなかったけれども、段々聞かせて頂いてる間に、いつの間にか一番後ろで聞いておったのが、いつの間にかもう先生の前に人を押し退けておる自分に気が付いた。
その倉野先生が甘木の初代が云うておられますが、これから信心をするなら、赤子の心になって信心せにゃと仰った。そのところを新聞記者に云うておられるところに、自分が泣きだして仕舞うて後が言葉になっておらないと書いてあります。
もう、小さくて両親を亡くされて、親に合いたい親に合いたい、もうそれこそ、そういう一念で何時もおられるところへ、信心するなら赤子の心で信心せにゃと言われたところに、初めてここに親を感じられた。丁度二十八年振りに親に合うた気がしたと喜びを話しておられます。それから熱心に信心を始められた。
皆さん信心はね、金光様の信心はこの甘木の先生の仰るようにね、赤子の様な心にならなければいけません。赤子の様な心になって信心を頂かなければ・・・・もう自分は習わんでもあそこは知って、ここは覚えとると云った様なものではなくて、何時も神様の前には赤子の様な心で信心をしなければ、そこで初めて天地金乃神様、いわゆる天地の親神様と本当に実感して感ずるように段々お育て頂くんだと思います。金光様の信心はここが出来なければ駄目です。
天地金乃神様、天地親神様との私のかかわり合いと云うか、いわゆる続柄と云うものを、親だ子だと理屈の上では判っても、そこが実感として頂け無かったら心の信心は値打は無い。
ですから、もう当然の事として信心が出来る訳です。
その先生がね、段々修行されて確か倉野先生が甘木の一番初めのお弟子さんでしょう。と私は記憶しとります。日田より確か早いと聞いとります。そういう甘木の先生が赤子の心になってせにゃと言われたことが、もう大変な感動になられる程しの信心ですから、本当に親先生の甘え、またすがるそういう御信心がお出来になったのでしょうね。
そこでお道の教師に成られると云うことになって本部に、いわゆる今の学院に入られた訳です。そして、教師の資格を取られて、その当時山本豊先生と云う大変に有名な先生がおられました。お前は暫く甘木に帰る前に御用に行けと言われる。と、云われるのは佐藤宿老のお広前・・・これは大変な・・・当時教祖様の御弟子の中でこの人ありと、いわゆる第一人者の大先生である。佐藤宿老、三代金光様の奥様のお父様に当たられる訳であります。その佐藤宿老のところに改めて修行に行かれた。ところが、その当時は女の修行生がおられなかった。
とにかく、水は一町もあるところから、汲んで来なければならん。掃除は勿論のこと、炊事のことからせなければならん。風呂沸かそうにも一町もあるところに水を汲みに行ってから風呂を沸かさにゃならんと云った様な、丁度、そこに建築か何か始まっとったので、左官の手伝いもせにゃならん。大工の手伝いもせにゃならん。それこそ、もう目の回る様な忙しさであった。その中で修行された。
ところが、或時細作と云うところに片岡と云う先生が居られた。それが片岡次郎四郎先生と云うのは当時金光大神の御神号を頂かれた程しの方。その人の息子さんでしょう。片岡孝之進と云う先生がお見えに成られて、佐藤宿老と二人で酒盛りが始まった。偉い先生同志の話ですから、信心話に尽きることがない。お二人とも大変お酒が好きである。そこでちゃんとおかんをつけて運ばねばいけんのですね。もう昼の疲れでくたくたになっとるのに、何時まで経ってもなかなか止まない。早く止めて下されば良いと思うけれども、話が尽きない訳です。そこで倉野先生が御膳の端に上げてあるかん瓶を持って、佐藤宿老の御膳の上にある杯に注がれた。
それからが大変。あれは据えつきと云って大変失礼に当たることですね。もう先生が早う飲んでから早う済みなさりゃ良いという気持ち。佐藤宿老の膳の上に置いてある杯に据つぎをした。
さあそれからが大きな雷が落ちて散々叱られてもうびっくりした。それだけではない。とうとう甘木のお前の親に電報打ってお前のごとある奴はここで修行が出来んから甘木に電報を打て。甘木に電報を打ってとうとう甘木の先生を呼びつけられた。そして又、甘木の先生が大変に御叱りを受けた。
そこで甘木の先生は平身低頭、倉野先生の為にお詫びをしてやられた。そして又そこで修行して後許されて・・・
叱って呉れる親、詫びて呉れる親、と言っておられますね。
これが私共であったらどうであろうか。もし私の弟子が例えば、教会に行っておって、たったそれ位のことかんかんに怒る位ならまだ良いとして親を呼びつけて、しかも御本部へ甘木から電報で呼びつけて、もうお前の弟子のこげな倉野の様な奴はお道の教師になる資格はなか。だから今日にでも引き取られと云う訳なんです。
私なら、ああそうですかとこういうところで修行するなと連れて帰って来たに違いないですね。それこそ私は、ここでですね、倉野先生も甘木の先生も心を傷付けられるだけでない、心を殺される程しの事であったろうと思う。たった杯の据つぎをしたと云うだけで、しかも一日朝から晩までそれこそ女の子の仕事までさせて頂いて一生懸命御用さして頂いて、自分達は好きな酒飲んで、いくら信心話と云い乍、何時までも酒を飲んどってから、いくら据注ぎをしたからと云って、それこそ大きな雷が落ちる位でなくて、その親にまで師匠にまで電報打って呼びつけられた。そして又お叱りを親子で受けられる。そこを甘木の初代は平身低頭詫びて居られる。
それは恐らく偉い先生ですから言い訳はしないにしましても、それは不調法しましたと、それなら貴方の仰る通りに連れて帰りますと心の中ではこんな奴がと云う気が無かろうか。もう完全に心が殺されたり傷付けられたり親子ともするのところではなかろうか。
ところがどっこい、甘木の先生は偉かった。そこを見事に受けられた。そん時に例えば、甘木の親先生が居られ無かったら現在の自分はどんなになっとっただろうか、いわゆる詫びて下さる親が有ったおかげで今日の倉野が有ると言っておられる。そこで甘木の親先生を詫びて呉れる親と言っておられ、佐藤宿老を叱って呉れる親と頂いて居られる。父親の厳しさと母親の愛情、その二つを持って居られます。そういう様な受け方がどうして出来たであろうか。
信心のそもそものところがです、甘木から初めてお参りさせて頂いた時に、信心するなら赤子の心になってと云う、その赤子の心になってと云うのが先生の心に中にもう大変な感動となって伝わって行った。永年捜し求めておった、小さいときから親を知らないその親をここに見た様な感激が倉野先生の心の中にあった。
私はその事が、叱って呉れる親を頂かれ、詫びて呉れる親としては甘木の初代に傾倒されたのがそこにあったんじゃないかとこう思います。
私共が日々信心の稽古をさせて頂いてと、今日もあなたの心に叶う一日であります様にと教えを頂き頂き受けに受けてです、その事に取り組んで居ると云うおかげを頂かなければ、これは師弟関係の親でありますけど、なら赤の他人の誰からでもそれが偉い先生だからそういう風に頂いたんだけれども、これが普通友達同志、場合には目下の者からでも一寸待てお前は何ちゅうことを云うかと云うて突きかかって行ったり喧嘩になったりする様な場面もあろうかと思うけど、こちらが信心させて頂いておればです、いわゆるこちらが和賀心であれば、それを私は神の姿と云い、神の声と聞かせて頂けれるだけのゆとりがなからなければいけない。そういうゆとりが出来て來るのが信心だと思う。
椛目時代でしたか、皆さんも御記憶でしょう。藤原さんと云うて藤原アイ子さんと云う一寸時々頭がおかしく、おかしいと云うのじゃないけど、何か病的なヒステリックな人でした。
神様に向かうては非常に霊徳がはげしい人でした。様々な一々お知らせを頂いた。だから御結界に付いている時は本当に藤原先生、藤原先生と合楽の方達は言っておりましたが、藤原先生のお取次でおかげを受けたと云っておりましたが、一旦下がったらそれはもう、家の家内なんかどれだけ泣かされたか知れません。わがままな修行生でした。
それが私が何か申しましたら何か腹かいてですね、障子をパチャーンと締めてから出て行った。おいこら一寸待たんかと、普通なら云うところでしょうねえ。ところがこちらは、おかげを頂いて有難い時ですから、だからそれがそのまま神様の姿に見えた。
藤原さんがそういう師匠に向かって、いわば私から云えば目下の弟子がです、私の云うことが気に入らんちゃったと云うことで障子をパチャーンと締めて向こうの部屋さん入って行きますところから、本当に私はあの姿が天地の親神様の姿で、いわば私に教えておられると思うた。だから問題は私は今日皆さんに分かって頂きたいのは、そういう頂き方の出来れるおかげを頂いたら、私も傷付けられんで済む、相手も科人(とがにん)にならんで済むということなんです。 倉野先生の場合は、それが師匠であり親であったから出来られたら出来られた事かも知れません。けれども、この話は大変有名ね話ですから何回も話を聞きました。
たた杯の据注ぎをしたばかりに大変なお叱りを受けるだけでなく、とうとう自分の教え親の甘木の親先生までも呼びつけられて怒られなされてと云った様な結果になって、そこを傷つけられるどころか、それを有難しと受けて叱ってくれる親、又は詫びてくれる親として頂いておられるところに倉野先生、甘木の親先生の素晴らしさが有るわけです。
今日は私ね、人を殺すと云うは、確かに重い罪。しかし形で殺すことはね、それなりのお仕置がある。心で殺すことは確かに重い罪。神が見て居ると仰る。だからそういう場合です、私共の場合、勿論今日一日貴方のお心に叶う一日であります様にと祈り願って居ることでありますから、人を殺す様又は人を傷つける様なこともありますまいけれども、今度は反対にこちらが傷付けられる様な時、こちらが殺される様な時、いよいよ力を受けとかなければと云うことになる。より以上の力を受けておかねば、それを取って押さえるこが出来ない。それを有難いと受けることが出来ない。
おかげで傷付けられんで済む。おかげで殺されんで済むおかげを頂く為に、本当に本気で信心の稽古、いわゆる今日もどうぞ貴方のお心に叶う今日一日を送られますようにと云う切実な願いが、何時も心の中に繰り返されておかねばならない。
本気で心の力を受ける修行をさして頂いとかなければならん。と、云うことを知って頂かなければなりませんね。
どうぞ一つ信心さして頂く人は、人を殺すことも無かろう、傷付ける事もなかろう。そういう風に頂いて、反対に傷付けられる立場、殺される立場に合った時、殺されたり傷付けられたりされることのないだけの信心を頂いておきたい。
それにはね、倉野先生が一番初めに実感しておられる、ここに親ありと感じられた。いわゆる私共の信心の対象であるところの神様がです、天地金乃神と云う神様が親神様であると頂けて、それこそ赤子の様な心になって信心させて頂くと云うところから全てが神愛、神様のお働きの中に有ることだと分からせて頂くときに、傷付けられる様な思いをするときには、今こそ叱って頂くべき親があろうし、又そういう信心が出来るからこそ、又こちらに御粗末御無礼の出来たときには、詫びてくれる神様の御働きをして下さる。そういうおかげを頂きたいと思いますね。 どうぞ。